裸足の記憶。

この日記は“見出し”やら、人様からの“コメント”やらいろんなことができるらしい。
すごいな。人に見せるための機能がバッチリで。
日記であって日記じゃないようだ。
私はたぶんそれらの機能は使わないと思う。なんだか荷が重いので。

少し前に図書館で『貧しいけど、幸せ』(出版社不明/おそらく絶版)という本を借りる。
昭和初期〜30年代くらいまでの庶民の暮らしを綴った本である。
内容もさることながら、惹かれたのはなんといっても表紙の写真。
運動会の徒競走で女性がテープを切る瞬間を撮った写真なのだが、
すごい形相なのだ。
おまけに手足を目一杯広げて、走り込んでいた。
この姿がなんとも言えないほど強烈なのである。
たった一枚の写真が、本のタイトルを唸らせていた。


ここで言いたいのは“当時の人々はどんな状況にあっても情熱を傾けていた”ということではない。
その本の解説に“この女性は運動場を裸足で走っている!”と驚いていたことに私は
反応したのだ。


…え?運動会って裸足じゃないの?


私は運動会*1というと裸足の記憶しかない。
スニーカーを履いて競技をした覚えが全くないのだ。
ダンスも、障害物競争も、徒競走も、騎馬戦も、
常に靴下を脱いでやっていた(今は騎馬戦も禁じられているらしいが)。
実家にある運動会の写真はみな、裸足だと言い切れる。


徒競走のときの砂利が足の裏を跳ねて行く感覚。あれは未だに忘れられない。
競技が一通り終わると、冷たい水でジャブジャブと足を洗う感覚も。


ずっと裸足でいると、自分のなかにある野生が舞い戻ってくる。
私は運動場を走った足で、よく校庭の木に登っていた。


私の古い記憶を紐解いた、材木座海岸
足の指で砂を掴む感覚が心地よく、なぜか妙に愛おしく思えた。

*1:ちなみに高校時代は、行事自体がなかった。