古い映像の魅力。

10/1から、プロ機器の仕事のプロジェクトをやらなくてはならなくなった。
カメラマン、イラストレーター、ライターなど、外部からたくさん人手を借りることになりそう。
ライターでなく、エディターモード。
いや、ディレクションモードのスイッチを入れなきゃならないのか。
まあなんでもいい。とにかく人様のお力を借りないと。
私はそれを結んでいるだけなのだから。

見たい番組がないときに、なぜかつけっぱなしなのが東京MXテレビの〈音の風景〉。
フリーダイヤルで購入できる、CDボックスの宣伝番組である。


レコード会社各社協同で倉庫に眠っている懐かしの音源を集めては、オムニバスにして
売っている。
これらを懐かしむオジサマ/オバサマ方は、ある程度裕福になっているだろうから、
ここぞとばかり売り込んでおけ!というわけである。
おまけにMXなら広告宣伝費も安いだろうし、各社協同なら安いコストもさらに
分けられる。
レコード会社にとっては、願ってもない低コストでガッポリのCDボックスなのだ。


もちろん欲しいなどと思ったことはない。
ただこの番組は、昔の東京の姿がたくさん出てくる。
そこが私のこころをくすぐるのだ。


雷門の前を走り抜けるチンチン電車
光化学スモッグが渦巻く低空。東京オリンピックに湧く空港。
どれも私のなかにない風景なのだが、紛れもなくあった風景。
リアルであってリアリティがない、その夢物語のようなところが限りない浪漫。


昔の東京を綴った映像というと真っ先に思い出すのが、大島渚の『新宿泥棒日記』。
これをみたのは、私が中学1年生の頃である。
父が借りてきたレンタルビデオの1本をたまたま意味もわからずに見たのだが、
思春期の私にはものすごいインパクトだった。


まずは新宿駅の駅前で、数人の若者が逆立ちをしはじめる映像ではじまる。
女の子はスカートがめくれあがって、パンツが丸見え。
男の子もその隣で逆立ちをしている。
このシーンは何の意味がわからなかったし、意味のないことのおもしろさが当時の私には
全くわからなかった。これはいったい何なのだろう、と。


しばらくすると紀伊国屋の中で横尾忠則が万引きをしはじめる。
それを追って店員の横山リエが店内を走り回る。
なぜか二人楽しそう。大人とはよくわからないものだ。
そのあとも、ろうそくを囲んでヒソヒソと難しい話をしているシーンが出てくる。
モノクロで映像の暗さも手伝って、とにかく薄気味悪かった(爆笑)。


…これが当時の感想だった気がする。


しかしこの暗くて不気味な映画が、なんとも言えず魅力的だった。
評論家のいうジャン・ジュネの影響云々以前に、人間の感情に訴えるものがあるような
気がした。
わからない、不気味だ、暗いというのは、本質的に人間は好きなのではないだろうか
と思っているのだが、私だけだろうか。