近しい人々とのつきあい。

ドライカレー

今日は、
ドライカレー
もやしときゅうりのサラダ
コーンスープ

ひき肉は便利だから、よく買ってしまう。
とにかく応用が効くのがいい。にんにく、しょうが、卵、たまねぎに次ぐ
冷蔵庫の友である。

お昼過ぎから近所の図書館へ行く。
来年に向けての仕事のための資料集め。
そして掲示板でぶんさんが教えてくれた、久世さんの記事を見るためである。


資料が集まると早速、毎日新聞を見た。
『昭和の忘れ物』と題したコラムのなかに、“縁側”のことなどが書かれていた。
縁側がご近所の交流の場であり、そのなかで人とのつきあいを修得したとある。
そして当時は、人々のなかに“連帯”があったという。
隣の家の人間が上の子を病院に連れて行くから、下の子を預かっておいてなどと
いうことが頻繁にあったと。


世代が違えど、私が子どもの頃もそのようなことはしょっちゅうあった。
我が家に友だちがやってきたり、私が友だちのうちで遊んだり。
もちろん互いの親が、子どもたちが危なくないよう見守ってくれているという
前提の上でだったから、安心して遊べたし、人を信頼することも覚えられた。
また、悪いことをすれば友だちの親が私を叱ったり、うちの父が友だちを叱ったり。
日常茶飯事のことだったから、そこになんの不思議もなかった。
今じゃ子どものなかによその親が介在すると、栃木県小山市の兄弟殺害事件
じゃないが、よからぬことも過ってしまう。


はて、どうするべきなのだろう。
無味乾燥な世界のなかに住まわせ、子どもの安全だけを願うほうが
この時代には則しているのだろうか。