内弁慶嫌い。

おいしいお茶。

あったかいお茶がおいしい季節。
いれたてを飲むと、妙に気持ちが落ちつく。それが好きで常にあつあつを飲んでいる。
我が家ではコーヒーを飲む習慣がない。お茶か水がほとんどで、たまに果汁100%のジュースを
買うことがある程度。牛乳はほとんど飲まないし、豆乳は生まれて1〜2度しか飲んだことがない。
飲み物はずいぶん偏っているように思う。いや、単にお茶や水が好きなのだろう。

最近、親を殺す事件が相次いでいる。
殺す人間に限って引きこもり、親と同居しているのはなぜなのだろう。


そもそも私のように自立して暮らしたかった人間には、彼らの気持ちなど
わからないのかもしれない。
とにかく親と暮らしたくなかった。親は嫌いじゃなかったが、好きに
暮らしたくてしょうがなかったのだ。


おまけに私は、内弁慶が大嫌いときている。カッコ悪く、みっともないとさえ
感じてしまう人間だ。他人にはっきりと意思表示ができず、身内にしか強く
出れないのは、人間として恥ずかしいと思う。
こんな人間だから、彼らの気持ちなど全くわからない。


彼らと逆で、私はむしろ親に強く出れないのだ。
親といえども、私にとっては1年に一度会えるか会えないかのような存在
である。
久々に会ったときには、少し老けていたりする。そんな身内に強く出れる
わけがない。私はむしろ身内には甘く、弱いのだ。
特に気が弱くなっている時に、親の話をするだけで涙ぐんでしまうことも
あるくらいだ。


反論を臆せず言ってしまうが、一人前の男が親と同居していたら私はちょっと
引いてしまう。(もちろん親が病気などの例外を除く)
それだけで、100年の恋も醒めてしまうかもしれない。
私は本当に長い間ひとり暮らしを続けているので、男性は少なくとも自立して
ほしいと思う。親に依存している男には、どう考えても頼る気にはなれない。


…こんなことを言ったところで、所詮彼らには届くはずがない。
頼ったり、頼られたりする社会性も彼らにはないのだろう。
怒りの矛先を向けるところもなく、ただ煩悶とした日々を送り続けるだけ。
鬱積した不満は、最も身近で“甘えられる”相手に向けられる。
ただそれだけのことなのだろう。