せっかちな性分。

かぼちゃ、みょうが、セリの味噌汁

気持ちが休まらない毎日。気分を変えたいなあと思い、目的を持たずに家を出る。
渋谷に着いたが、人を見ているうちに気分が滅入る。

とりあえず、渋谷の書店で『季刊チルチンびと』と『クロワッサン』を購入した。
『季刊チルチンびと』はどういう雑誌なのか知らずに買ったのだが、表紙の写真がとてもユニークで
気に入ったのだ。裸足でおむつの汚れた幼児が、板の間を上がろうとしている写真である。
板の間はどうやら保育園の入口のようだが、保育園らしからぬ威風堂々とした造り。
見ているだけで気持ちがいい。ページをめくっていくと、餅米を大きなザルにあげ、杵と臼で餅を
ついている男と、眩しい白ねぎの写真が目に入る。とてもいい写真だ。

さらにページをめくっていくと、大阪・羽曳野市のくるみ保育園の記事が目に留まる。
どうやら、これが表紙の保育園らしい。
大きなホールを裸足で走り回る子どもたちの写真、裸足で木に登る幼児の写真、野菜畑の手入れをする
子どもたちの写真が並ぶ。非常に魅力的。ここの幼児たちはみなのびのびと遊んでいるようで、
元気いっぱい。お昼にはなんと野菜の煮物を食べている。食べこぼしは、もちろんOK。
さらに、みんなでぞうきんがけをしたり、近くの山で虫を採ったり、小動物と遊んだりしている。
見ているだけでうっとり。大都会の書店にいるというのに、頭はすっかり生まれ育った町のなか。

『クロワッサン』は、〈男はなぜ子どもなのか〉というタイトル。
子どもっぽい男は好みじゃない。けれど男はやっぱり子どもだと思う。だが子どもである男を
コントロールする前に嫌気がさしてしまう私も、かなり子どもなのだろう。
いろんな意味で目を背けたくなるテーマだが、男と女には避けられない問題点を追っている
よう。

今日は
鮭の塩焼き
挽肉入りポテトサラダ
かぼちゃ、みょうが、セリの味噌汁

書店を出てすぐに、久々に用賀の珈琲屋に行こうと思い立つ。
あそこなら人も少なく、落ち着ける。これはいいと思い、改札を抜けると
鎌田朱美ちゃんからメールが入る。代官山のunitのカフェにいるから来い、と。


喧噪を避けたかったという気持ちもあったが、朱美ちゃんにあの珈琲屋を
どうしても案内したくなった。
なにせトタンでできている倉庫のような珈琲屋である。
中はアンティーク家具や花まで売っている変わり種。是非とも連れていきたく
なった。


店内で待とうと思っていたのだが、営業していなかったらシャレにならない。
とりあえずそれを確かめたあとで、駅で彼女を待とうと思った。
駅からその珈琲屋までの道のりは結構あるし、わかりづらい。
それで駅に戻ったあと、彼女を待って連れて行こうと考えていた。


私はそもそも待ち合わせをしないタイプだ。とにかく待つことができない。
せっかちというのもあるが、待つというのは拘束されているも同然。
これが耐えられない。
そのせいか、行列ができる店は行きたいとも思わない。
ディズニーランドのようなところも、待たされると思うだけでうんざりする。
出かける前、母親の準備が遅いというだけで父は怒っていたが、
その血が見事に私の身体にも流れているようだ。


それでも彼女を40分待った。早めに来ていたら彼女に申し訳ないと思った
からだ。しかし約束の時間を過ぎても彼女は来ない。メールも届かない。
こちらからメールを入れると、まだ渋谷にいるのだという。
思わずカチンときてしまい、もうここを出るからとメールを打った。


あとから考えると、なんて大人気ないのだろうと思う。
彼女は福島から来ていたのだ。ちょっとくらい遅れてもいいではないか。
けれどもその時は、感情的になっていた。何しろ私は気が短いのだ。
長いミーティングも耐えられない。私が会社を持ったらミーティングは
10分で終わらせるようにしたいくらいだ。


そんなことはともかく、気が長くなりたいと思う。
なぜか気が長い人間と思われる私だが、それも私にとってはとても苦痛。
とはいえ、包み隠すことはないので(笑)、相手にびっくりされるだけだけど。