育てる能力。

フリーペーパー『phono』の編集長である、岡本俊浩くんからメール。引っ越しをするようだ。
味園でばったり会って以来だが、どうやら元気そうだ。

母からもメールが来た。セリを使って料理をしたのだが、ちっとも香りがしないとメールを
出したのだが、どうやら栽培のセリはそんなものらしい。
小さい頃、母と採ったセリは香りだけで、生息しているのがわかるほどだったのに。
さらに母は、春先の田んぼの畔にあるものがいいのだと教えてくれた。
まさに小さい頃親しんだ、セリ摘みだ。

今日の午前中は、北青山のデザインプロダクションに営業に行った。
現在やっている仕事は午後から稼動することが多いせいか、
午前中に来てくれと言われるのは、非常にありがたい。
おまけに気分転換にもなる。新しい空気を自分のなかに
摂り入れるような感じだ。


最近はどこへ言っても“まるなげ”の仕事を頼みたいと言われる。
カメラマン、ライターを手配し、すべてをディレクションし一冊の本に
してくれという依頼だ。
今回の編集長の仕事をしてから、そういう仕事ならやってほしいと
言われることが多い。やりがいはあるが、とても大変な仕事だ。


ただ今回の仕事を通して、カメラマンもライターも相性のイイ人間と
知り合えた。彼らとまたタッグが組めて、いいものがつくれるなら
大歓迎だ。


私の立場は、お金の計算と制作のクオリティの両方を求められること
が多い。仕事をしていく上で、両輪が揃ってはじめて成果が上がる。
お金がなおざりになれば、食っていけない。クオリティが低ければ、
次の仕事はない。


営業ばかりを強めていくと、すべてが歪んでしまう。それは今年の夏の
AVEX騒動でよくわかった。あくまでも経営と制作の両輪が必要なのだ。
MAX松浦氏に思い入れはないし、やっていることも趣味ではない。
けれども手塩にかけたアーティストから“ついていきます”と慕われるの
はとても幸せなことではないだろうか。彼は制作の手腕を買われることが
多いが、経済的なセンスもあるんじゃないかと思う。アプローチの方法は
別として見習いたいところも多々ある気がした。あの騒動にはいろんな
意味で考えさせられることが多かったのだ。


今、世の中で必要なのは、育てる能力ではないだろうか。
育てる能力には、確かな腕と寛容さ、的確な采配が必要となる。
かつての日本人には、それらを兼ね備えた人間がいたものだが、
最近は育てる立場にあっても“自分のことだけで手一杯”という
人間が多い。それはとても淋しいことだ。