昔の面影はいずこ。

最近は“思いやり”ということばが、死語なのかもしれない。
私は相手が気を廻してくれたものは、どれも素直にありがたいものと思える。
それが必ずしも望んでいたものでなくとも。そりゃあ望んでいたものであればなおうれしいが、
そこまで他人と気持ちが合致することなど“ナイ”と私は考えている。
そういう私だから、少なくとも配慮してくれた上での言動なら、どれもありがたいと感じる。
親もそうだ。見解の違いは多いけれど、それが一切気にならない。
私を思っての言動だから、もうそれだけで十分だ。それを“こうして欲しい”と願うのは
ある種傲慢のようにも感じる。

[KU-KI]のToshiくんからメールをもらう。彼はパーティのことをよく考えるし、[KU-KI]の
今後のこともよく考えている。もちろん周りの人間のことも。
もちつもたれつの姿勢がなければ、パーティなどできないのかもしれない。
あくまでも気持ちのやりとりなのだ。そのせいか彼のパーティには“思いやり”を感じることが多い。
素晴らしいオーガナイザーだと思う。

テレビ局を経営する伯父の姿を、あるホームページで見かけた。
写真を見るなり、身体に戦慄が走る。
そこに写っているのは、私の知っている伯父の姿ではなかった。


私が嫌っていた伯父は、体格がよく押しが強く、いつも堂々としていた。
精力的な人間で、豪気。他人に否と一切言わせない人だった。
ところが久しぶりに見た伯父の姿は、血のつながりのある私でさえ誰だか
わからないほど、小さく細くなっていた。


その写真は、福岡ダイエーの監督である王さんとのツーショットだった。
伯父はスポーツを推進する活動を30年ほど続けているせいか、
スポーツ界の人間と親しい。
王さんに呼び止められて話し込んだというキャプションがついていたが、
どこか王さんに身を寄せているようで、実に弱々しい。


伯父はたぶん、70半ばになるだろう。
頬がこけ、目はくぼんでいた。彼は、こんなになで肩だったのだろうか。
確かに、20年前と同じ姿を期待する私が間違っているのかもしれない。


昔の豪気な伯父に戻ってほしいなどと、私が思うとは!


早速、母にメールを送った。
彼女も全く昔の面影はないと言っていた。
テレビ局は彼の名義があるだけで、今はほとんど仕事もしていないのだという。