映画三昧。

元旦の夕陽。

晦日〜元旦は、みなどのように過ごしているのだろう。
今年はカウントダウンに行くこともなく、こころ静かにひとり年越しを迎えた。
K-1のボビー・オレゴンの姿を見たあと、好きなレコードをターンテーブルに乗せ、
音楽に身を浸す。
お酒がたくさん飲めない私は、シラフで雪景色をながめていた。
それが2005年のはじまり。

今日は夕陽も非常に美しかった。なんだかイイ年になりそうだ。

テレビをつけているが、なかなか好みの番組を流してはくれない。
仕方がないのでザッピングを続ける。
目に留まったのは、古く褪色した映像。70年代の映画『ウルトラマン』だ。


ウルトラマンというと、円谷の特撮技術ばかりとりあげられるものだが、
今回じっくり見て気がついたのは、戦闘シーンだけではないところにも、
非常に実験的なところが多いということだ。


子どもが川のほとりに座っているシーンでも、石が並ぶ絵をしっかりと
撮ったあと(ちょっとミニマルっぽい雰囲気)、子どもにカメラアングルがいく。
子どもが道ばたで絵を書いているシーンも、今じゃ新鮮だ。
路上で絵を書いている姿が見たくとも機会もないし、
やっている子どももいない。
それもらくがきの絵から、道ばたにいる数人の子どもがカメラに入ってくる。
撮影や編集が非常にカッコイイのだ。


人間が映っているシーンは、どれも驚くほど暗い。アヴェドンもびっくりするほど
顔に影が入ってくる。セリフの声で誰が話しているのかやっとわかるくらいだ。
視覚だけに頼らず、聴覚に委ねるところも感覚が研ぎすまされる感じがして、
イイなあと思った。
暗闇が多いせいか、昔の映像は怖いものが多い。小さい頃は、怖い番組ばかり
だったもの。音楽も実験的で、その怖さに拍車をかけていたような気がする。


今の映像は、照明が入りすぎる。過剰なのだ。
事務所がタレントの顔をしっかりと見せてくれというのか。
それともシワやシミを飛ばすために、照明はいくつも使わないと、
出演者のご機嫌を損なうからか。


BGMも『ウルトラマン』は魅力的だ。セリフのわきで鳴っているのは、
ハープシコード
今はハープシコードをBGMで使うことなど、全くというほどないし、
ウルトラマン』にハープシコードを使おうとすること自体が、冒険的に思う。
そういえば“ガバドンの声”にも、しっかりとルームエコーがかかっていた。
音響も含めて『ウルトラマン』に惹かれてやまない。


その後も、MXテレビの映画を見続ける。
『秋菊の物語』(92年・中国)、『ザ・カップ 夢のアンテナ』(99年・ブータン)。
『ザ・カップ 夢のアンテナ』では、己の執着が煩悩に向かわせると言っていた。
なかなかヘビーなことばだ。年明けからカウンターパンチを喰らわされたよう。


…さあ、今からTVKの『ブエナ・ビスタ』でも見るか。