神田明神@湯島。

神田明神。

nutronのヨシタケくんから、年賀のメールをいただく。
どうやら元気そうだ。
彼のホームページ(http://www.nuexpe.com/index.php)にもあるが、
現在彼は手を骨折しているらしい。
手が不自由ななか、いただいたメール。ことのほかうれしかった。

これも彼のホームページに記載されているが、どうやら彼は沖縄に拠点を移し、
活動をしていくようだ。ツアーに忙しい彼のこと、沖縄に移り住んだとしても
全国を行脚する日々が続くに違いない。

どうやら彼は、KENSEIさんともユニットを組んでいくようだ。
KENSEIさんもヨシタケくん同様、仙台を拠点としながら全国を行脚している。
“じっくりと音をつくりたいときには、自然に恵まれた環境の中で。
そして仕事をするときには、全国/世界を相手に”
彼らは非常にうらやましいスタンスで、仕事をしている。

居住環境を第一に仕事をしていくというのは、ワーカホリックな日本人にはなかなか
できないこと。大部分の人々はまず仕事ありきで考え、条件に見合った居住環境を
選んでいく。
しかし居住環境を後回しにして、人間らしさなど育まれていくのだろうか。
ものをつくることは人間を露にしていく営みであるから、生活に重きをおいてこそ、
その人らしさが形成され、いい作品が生まれていくように思う。

今日は浩美ちゃんといっしょに、神田明神に行く。
商売繁昌の神様。彼女がひとりで働く私に気をきかせ、昨年私を連れて行ってくれた
神社である。湯島という都内中央に位置しながら、こじんまりとした佇まい。
庶民的で温かい雰囲気をもった境内が気に入り、今年も行くことにした。


故事によるとこの神社は、京都から飛来した平将門公の首が落ちたところと
言われている。京都も平将門も大好きな私は、この神社に妙に親しみを感じて
しまう。来年もまた訪れるのではないだろうか。


浩美ちゃんと二人で参拝したあと、お守りやお札を購入する。
私は意外とこういう類いのものが大好きである。信心深いというより、
日本人が続けてきた“ならわし”というものに惹かれてしまうのだ。
どんなことであろうとも、長く続けるということは何らかの意味がある。
また、物事を続けることがいかに難しいかを、最近は身をもってわかるように
なってきたからだ。


数百年の年月をかけて神社仏閣を守り続けようとした先人たち。
私としては、彼らの思いに敬服したいと気持ちのほうが大きい。
素晴らしい文化を遺してくれた彼らを、ひとりの日本人として誇りに
思う。


とはいえ、神社仏閣もずいぶん商業主義になったもの。
キティちゃんの刺繍の入ったおまもりはもちろん、ITおまもり(!)などという
冗談めいたものまで今じゃ販売している。
名刺入れくらいの樹脂のケースに、いくつかのお札が入った“ITおまもり”は、
どうやら企画倒れのよう。求めている人はほとんど見かけなかった。
これは、神社より量販店のほうが売れそうである。お坊さんが袈裟を纏い営業に
行く姿が浮かび、閉口した。しかし現実は、そんなものなのかもしれない。


おみくじは末吉。今まで引いたなかでは最低である。
脳天気な私に対して、神からの警鐘なのかもしれない。
浮かれ気分を自粛せよ、ということか。


浩美ちゃんと二人で酒まんじゅう、やきとり、甘酒を口にし、神田明神
後にした。