20代と40代。

先日の[ku-ki]のイベントで、久々に山陰山陽のyu-jiとその友人のHirakuくんに会う。
二人とも元気そう。
yu-jiは、ステージの一番前で踊っていた。[ku-ki]のスタッフでもあるのに(笑)。
まあ踊らなくてはいられない!って気分だったのだろうな。

最近は、音楽雑誌やレコード/CDが売れていない。
しかしライブやイベントは、意外と好調な売れ行きなのだという。
書や記録ではなく、より生の雰囲気を味わいたいと思っている人が増えているのだろう。


音楽雑誌もサンレコのような、制作過程を書いたものが売れている。
リアリティがなければおもしろくない、というところなのだろう。
実に今の世相をよく表している。

私より上の年齢層、つまり現在40代の人間はサブカルチャーに洗礼を受けて、
思春期を過ごしてきた人が多い。
彼らは書やレコードに親しんできた人間である。


私もサブカルチャーには興味があるし、親しんできた。
だからサブカルチャーを否定するつもりはない。
しかし、たまにそれを引きずって生きている人を見るとさすがに
うんざりしてしまう。
ある種、思春期のときに流行ったファッションを40代まで守り
続けているような感じである。
彼らを見ていると、どこか物悲しい雰囲気さえ漂う。


書で育ってきたせいか、彼らは非常に理屈っぽい。
理詰めで通すことに快楽を覚えているようなのだ。
ある種彼らは空気が読めていないとも言えよう。


いつだったかマニエラの山口さんが
「今の20代は空気を読むことだけは、天才的」と
書いていた。
まさにその通りだ。
今の20代で空気が読めない人間は圧倒的に少ないと思う。
それがイイことなのか、悪いことなのか一概には言えないが
(一長一短であるから)彼らの特性なのだと言える。
裏を返せば、オタクが少ない。深めていくことができないというのが
実際のところなのだろう。
いわば彼らは、サブカルチャーで育った人間の対極にあるのだ。


人間は理詰めでいくと、確実に嫌われる。
漱石だって“角が立つ”と書いていたが、実生活に理屈を持ち込んでは
ダメだ。誰だってうんざりする。
書くことを商売にしていると、理屈っぽくなりがちだが、
そこは職業病にならないよう、あえてこころがけていくべきだと思う。


世の中が現場を求めていく風潮にある昨今、サブカルチャーおやじは、
現場対応能力のある20代にサラっと持っていかれるんじゃないかな。
私はそういう気がしてならない。