アピールする、ということ。

今朝方、松田聖子がテレビに出ていた。
デビューして最初の仕事は?と聞かれ、『ズームイン朝』だと言っていた。
幸いにもこれを、私は学校に行く前に見た記憶がある。
かつての日テレ前で、一般の人々に囲まれ「松田聖子です!」と一言述べた女の子。
どこにでもいる、素朴な学生に見えた。

周知の通り、彼女はその後大スターになっていくのだが、彼女は本当に売り方がうまいと思う。
もちろんスタッフの力量もあるのだろうが、彼女の自己プロデュース力というのは大したものだ。
俗っぽいようでありながら、ほんの少しアートを感じさせる。
あくまでも行きすぎない。その匙加減が最高なのだ。

彼女の声は、アルバムの4枚目くらいから今の唱法に変わり、声も変化した。
これも俗とアートを往来するプロデュース範囲なのだろう。

クライアントが私の入れた校正を見て、
「これ、全部共感できるし、理由もわかる」と言われた。
とてもうれしかった。


私の仕事を良い、と言ってくれる人は、私自身も“その人の仕事が良い”、と
思えることが多い。
これは決して誉めてくれたからではない。こころからそう思えるのだ。


私は仕事に関して、歯に衣を着せない人間だ。単刀直入にものを言う。
そのせいか、いろんなところで嫌われてきた。
それでも仕事は、よりいいものをつくることが目的なので、やむを得ないと
思っていた。


広告制作は、音楽に近い。
なかでもデザイン校正は、音楽制作をやっている感覚に酷似している。
まあサウンドデザインというくらいだから、音楽はデザインに近いのだ。


いつも言っているが、文章にはグルーヴが必要だし、句読点という休符が必要。
また、デザインにはシンコペーションが鍵になる。
強弱をつけることで、見せたいところに人の目を留めさせなければならない。
これらはまるで、心地よいフレーズから1曲をつくるようなものだ。


もちろん、デザインの洗練さも必要。
ただ、ものによっては洗練過ぎて入りづらいというものは、少し俗っぽくもする。
それは見てもらいただきたい対象の方々によって、当然ながら変えている。
これは戦略なのだ。


広告制作は、おもしろい。
アートとはまた違ったおもしろさがあるのだ。
人間を読みながら、どうつくりこめば効果が上がるか。
そこを考えていくのがたまらない魅力。