プロの仕事。

70年代のanan

最近また、70年代のananをよく読むようになった。
当時のananは写真が前衛的で、最高にかっこいいのだ。
かの立木義浩氏が主に撮っていたのだけれど、知床半島阿蘇、軽井沢の風景と、
モデルの写真が相俟って、素晴らしくアーティスティックな作品に仕上がっている。
モデルのポーズも、今の女性誌の比ではない。

特にこちらの写真の号の阿蘇の写真は、あのケイト・ブッシュもびっくりなほど、
幻想的な作品になっている。
湖に映った逆さ阿蘇、女性のモデル二人、鹿一匹。
それがベージュ一色に彩られている。
当時はphotoshopなんてないから(笑)、カメラマンの腕がすべて。
プリント一枚が、雄弁に物語っている。

KENSEI氏の日記をたまたま見ていたら、R社の浜松研究所のことが書いてあり、
びっくりした。私にとってはとても懐かしく思える話だ。
(当時、浜松に行っては、うな重食べてたな・・・)


R社の創始者は、梯郁太郎(かけはし いくたろう)氏。
音楽の“幾多の掛け橋”となった、“日本人の創始者=太郎”。
名前がそのまま、彼の足跡を表しているよう。
ソニー井深大氏といい、大きな功績を残した人は名前もいい。


残念ながら私は、梯郁太郎氏とはお会いしたことがない。
だが研究/職人肌で、音が大好きな人と聞いている。
生楽器には一切手を出さず、あくまでも電子楽器にこだわってきた人。
そして音とは何ぞやというところに、生涯をかけてきた人。
それだけで、十分尊敬に値する人だ。


あのアンダーワールドの二人も、R社の浜松の工場で興奮気味だったと聞いている。
工場の写真の前で映ったスナップ写真を、そのまま広告にしたこともあったっけ(笑)。


話は変わるが、KENSEI氏が日記に書いている、渋谷セルリアンタワー近くの
スープカレー屋といえば“心”のことだろう。
私もあのスープカレー屋の大ファン!
特にあそこの「納豆おくらカレー」は、最高だ。
おまけに店員も心くばりができる、接客のプロ。
そういうところに限って、味もいいんだよなあ〜。不思議。