夏休み2日目。

自宅への道。

翌日も父の病院へ行く。
その前に生まれ育った町を歩いてみたいと思い、散歩がてら
通った小学校や中学校を歩いてみる。

全く面影が残っていないところ、なんとなく残っているところ、
すべて残っているところ、町はさまざまな風貌を見せる。
あれほど遠いと思っていた道が、ずいぶん近く感じられたり、
下から見上げていた塀が、背丈と同じくらいに思えたり、
町は自分の変化も如実に伝える。

私の通っていた小学校は、マンモス校と言われる学校だった。
とにかく人が多い。小学校1校から中学校1校ができるほど、
人数が多かったのだ。


つまり同学年は、9年間のつきあい。
かなりの腐れ縁である。


通学路を歩いていると、同級生たちの家が立ち並んでいる。
卒業してかなりの年月が経っているので、移り住んでいる人も多い
だろうと思いきや、ほとんど変わっていない様子。
住み慣れた土地に、やはり愛着を感じているのだろうか。


通っていた中学校の体育館の脇には、高速道路が走っている。
もちろん私が通っていた頃には、なかったものだ。
当時は田んぼや私有地が多く、たくさんの緑に囲まれ、
閑静な住宅地を包んでいた。非常にバランスのよい町だった。
それは今でも、あまり変わらないだろう。


中学校への道を2キロほど東へまっすぐ進むと、貸しレコード店
あった。この店の上に、母方の叔父のピアノ教室があり、
私はヒマができるとここに通い詰めたものだ。
ここでも何度か書いたが、この貸しレコードにあの奈良安浩くんが
勤めていた。


見聞きするものすべてを、私はこの町に教えてもらった。


(左上)通学していた小学校。当時はこんな立派な正門はなかった。
(右上)通学していた中学校。こうやって写真を撮ると、当時と全く変わらない。
(左下)中学校の通学路。恐ろしいほど変わらない。
(右下)奈良くんと出会った貸しレコード店跡。レコードの文字がうっすら見えますか?