先見性。

連日、都内の欠陥住宅のニュースが流れている。
正直言って耳にしたくない報道だ。
最近じゃ“儲ける=手を抜くこと 材料費を安くあげること”と思えるようになってきた。
材料費を安くあげることは場合によってはよいこともあるが、基本的に私は素材を大事にしたいと
考えるので、材料費を安くあげているものは好みのものが少ない。
ましてや“手を抜くこと”なんて、もってのほかだ。ものをつくる人間として恥ずかしくないのだろうか。
信頼を損なわずに、ものをつくるというのは、もはや日本人のこころから失われているのだろうか。

毎朝ニュースに登場する姉歯氏のように、“仕事がなくなるから”を理由に
いい加減なところで手を打つ人が増えている気がする。
相手が権力者であればあるほどなびいてしまう、そんな人を見るたび、
失望してしまうのだ。


いい意味での頑固者が減った。
“組織だから”“関係が崩れるから”と意に添わないこともよしとしてしまう
ところに、測りしれないほどの恐ろしさを感じる。


私のような筋金入りの頑固者は、こういうところで日々戦ってしまう。
だから嫌われることも多い。なかなか理解してもらえないのが哀しいところなのだが、
ごくまれに理解してもらえることがある。
不思議なことにそういう人たちほど、いい仕事をしていたり、ひとかどの人間だったり
するのだ。
おそらく私と同じように戦ってきたからなのだろう。
しかも彼らは、最終的な判断を間違わない。
目先の利益にとらわれず、物事を長い目で見る“先見性”があるのだ。
ここが明らかに違う。


“手を抜くこと”“不誠実さ”が、どこにつながっていくのか、
見通せる人間は少ない。
むしろ“信頼”を死守できる人間こそ生き抜けるものなのに、
どうしてそこに気がつかないのだろう。