“キレイなだけ”。

あと10日足らずで、今年も終わってしまう。
早いなあ。ついこないだ年が明けたと思っていたのだが。
こうしているうちに、5年10年というのはあっという間に過ぎてしまうのだろう。
人間の一生というのは、想像以上に短い。

『summing』というフリーペーパーを、とあるアパレルショップで
いただく。なかをのぞくと、トンコリ奏者のOKIさんとシタール奏者
ヨシダダイキチさんのインタビューが載っていた。
(テキストは、サラーム海上くん)


「リズムが打ち込みに合わせてジャストにされてしまう。リミッターで
倍音が全部つぶされている。できあがったらこれはトンコリか?という音に
なっていた。お任せするとこうなっちゃう。でも何かいうと嫌われる」
とOKIさんはインタビューで話していた。


今の音楽は、ほとんどこういった環境のなかでつくられている。
“つくる”というより、“作業”なのだ。
てさぐりや、はみ出しは許されない。ちょっとしたチャレンジや
危なかしさがスリリングでおもしろいのに。


ヨシダダイキチさんは、
「…日本のフォークを聞くと、本当に強引でコード進行が合っていなかったりする。
ストーンズのコピーをやっても、おかしなリズムでやっていたり。でもそちらが
本物で、最近はなんでもキレイにつくってしまうけど、キレイなだけなんですよ。」
と。


“本物”ということばは、どこかしっくりこないところがあるけれど、
“キレイなだけ”ということばには、大いに共感した。
キレイは魅力ではないのだ。キレイな男が魅力的かと言われたら、
必ずしもそうではなかったり(私の場合は特にそうかも(笑))
と同じで、魅力というのは全く別の次元の話なのだ。
むしろコンプレックスに感じていることが、人によっては
妙に響いたりすることさえある。
“くせになる”“なぜかいい”ほうが人を強く惹きつけるものだ。


しかしこんなことを言っていること自体、音楽がつまらないことを
証明しているようなものだ。なんて淋しい時代!